2007ECR記 6 2007.3.13 Final Conclusion
昨晩の宴から続く夢の中、蘭がそっと漏らした「苦しい」という科白がリフレインする。その苦しさは私自身が最も鈍感である一方蘭にとっては最憂慮事項であったが、ついに成就することなく永遠にこぼれたままのミルクとなった。
最終日、いつもの朝いつもの朝食いつもの Schwedenplatz 駅。プラットホームへ続く階段はいつものようにフリーペーパーが散乱している。ウィーン国際会議場(VIC)にいつもの地下鉄が滑り込む。しかし、昨日までの熱気が嘘のように静かだ。何より参加者が明らかに少ない。会議場
の入り口で昨日まで配布していた学会新聞も今日はない。人で満ち溢れていたホールは閑散としており寂寥感が漂う。万物には始まりがあり終わりがあり、後者にはつねに虚無感と感傷があり、若干の達観を要する。それがこのユーラシア西側で開催された、スペシャリティを同じくする世界の同志の集いにも訪れた。それだけのことではあるが、やはり感慨深い。
本日の予定は午前中一杯 RC1708 The thyroid/parathyroid, SS1801b colorectal cancer.前者はオーストリア人による甲状腺・副甲状腺疾患の画像診断についてのオーヴァービュー。後者は直腸癌の演題が集まっていたが、その中ではミュンヘン発の"Ultrahigh spatial resolution MR imaging and T2 quantification in rectal carcinoma"が特に目を引いた。摘出直後の手術標本を用いた in vitro の画像診断ではあるが粘膜・粘膜下層・輪状筋・縦走筋がルーペ像と同様に描出されていたのは圧巻であった。その客観性、診断性はEUSを凌ぐであろう。
これらを終えてホテルに戻り、蘭と撤収準備。帰国便は夕方なので時間の余裕はある。支度がひと段落したのが午後一時ぐらい。チェックアウト前10分にふと蘭と目が合ってテレパシーの会話、気持と肉の交わりが合一し短い時間ではあったが溶けるように一つになれた。トランクケースを預けて観光へ出かける。
向かった先は王宮、ガイドブックから国立図書館に行くことは既に決めてあった。シュテファンプラッツで記念撮影をした後、王宮に辿り着いたはいいが肝腎の図書館の場所がわからない。建物の中の明らかに違うような場所を上ったり降りたりしながら係員に聞いて、ようやく別に入り口があることがわかる。親切に地図の説明もしてくれた。そこへ向かいがてら王宮内を散歩。本日も春の陽気で、中庭には多数の人が居る。そこで写真を撮ったが、途中でその写真を見せたら蘭の機嫌が悪くなった。当方としては背景とのバランスを考えていたつもりではあったが、自分が端の方に写っているのは許し難いと言われた。そこで蘭を真ん中左より1/6に据えて撮影。散歩しているうちにのどが渇いたのでCafe Hofburg にて一服。非常に高級感あふれる?内装で、店内にはまばゆいばかりの日差しを浴びていかにもウィーンらしい調度が輝いていた。
それに従って、オイゲン公の彫像の脇などを通りつつ図書館へ。
入り口で入場料を払い、中に入る。内装はバロック様式で前後左右、2-3Fの高さに多くの図書が収められている。天井の絵画はカール6世の誕生を表した物だそうだ。
蘭の要請に応じてその写真を撮る。四方には胸像と地球儀。まさに知のコスモポリタンで、かつては帝国のあらゆる知識が一堂に集められた場所なのだろう。しかしこの図書館にはそれと同時に奇妙な蔵書も多数あるようだ。例えば…ヨーゼフ・キュゼラークの徒歩旅行、正式には「ウィーンよりシュタイアーマルク、ケルンテルン、ザルツブルク、ベルヒテスガーテン、チロル、ばいえるんを歩き通し、その後、ドナウ河を下って麗しの帝都に帰りついた徒歩旅行者による、ロマンチックで絵のように美しい描写を交えつつ、つとめて冷静沈着に記述された一八二五年の見聞記」という本もある。当時の世相風俗が書き留められており先年復刻本が出た。国立図書館は旧ハプスブルグ宮廷図書館であり、15世紀のフリードリヒ三世のころから収集されている。眉唾な本もたくさんある。「太古からの女の髪の結い方」ラテン語の本(図は一つも無い)、1000ページに及ぶラテン語の大型本「水の飲み方」、17世紀の「飛行についての書」、「死者のための食べ物」などなど。入って左側にはローマ帝国時代にさかのぼるウィーンに於ける郵便について記してある古書が展示されていた。撮影しようとしたら警備のおじさんにとがめられた。
図書館を出ると本屋があって、少し立ち寄ってみた。中は煙草の煙の匂いがする。ディスプレイには解剖学書などもあった。さらにいくと国立オペラ劇場があり、向こうには「ホテル・ザッハー」の看板。ついに念願のザッハー・トルテをテラス席で味わう。
隣にはECRの学会バッグを手にしたグループがいた。日は既に傾き、ついには空港へ向かう時間となる。リンクを回る路面電車に乗りホテルへ戻る。この頃には既に蘭も地理を把握していて、どこで降りたら近いか教えてもらった。電車はゆっくりと議事堂などを過ぎながら運行する。ホテルに着いて、トランクなどを受け取り空港へ向かう。途中の飲食用に、近くのスーパーでビールとサンドイッチを買いWienmitte からCATに乗り込む。意外に乗客は多く、中には学会バッグを持っている人もいる。なにより激しくうるさい。主に聞こえてくるのはスペイン語で、強迫観念に駆られたかのようにしゃべり続けている。やがて列車は空港へ到着、ウィーン離別まであと少しだ。
途中の読みものに、とTIME欧州版を買おうとしたら蘭に「今必要なの??」と咎められてしまった。
この後の記述には多くを裂くまい。飛行機は無事に離陸し、深夜のシャルルドゴールへ。疲れ切って日本行きの搭乗口へ向かうとやはり日本人が多かった。のどの渇きを覚え、途中の売店で水を買おうにも高いのしか置いてない。しょうがないから去ろうとすると、黒人の厳つい店員にhei!と声を掛けられ「高い」水の入ったペットボトルを投げて寄越された。…あまりに哀れに見えたのだろうか。それでもこの異国の地ではその親切心が身にしみる。
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気が付けば成田空港、蘭の住まいの最寄り駅。わずかな期間なのに和食が恋しく二人して立ち食いそば屋へ。
かくしてここに至りようやく旅の終わりを実感した。Final conclusion - 最終結論までは
有余はあったものの、実質的にはこの時点で全て終わっていたのであろう。さようなら、蘭。
