Asia Cup 2004

Thursday, August 09, 2007

2007ECR記 4 2007.3.11

(欧州における米国の存在、カフェのルーツ)
うつらうつらと目覚めつつ、今日も天気はよい学会三日目。ホテルの朝食ビュッフェがいつも同じ様なメニューなので、今日は外で食べることにした。ホテル周辺をうろうろしながら、店を物色する。ここウィーンでは夜遅くや朝早くにやっている店は少なく、せいぜいがファーストフード店である。ドアは開いてはいるが営業しているんだかいないんだかわからないような店もある。エンジェル大会??のようなわけのわからん行事のポスターもあった。少しさまよって見つけたのは Der Mann のお店。大きめのパンとコーヒーを注文して狭い店内で食したあと出撃。パンが固くて口の中を少し切ったのは秘密だ。朝一番のセッションにはまだ時間があるため、学会会場方面へ向かいつつ散歩することにした。つい昨日食事をした Gasthaus 近傍までぶらぶら歩く。ここまで来ると人はまばらだ。美麗な建物を背景に写真を撮りまくる。

その中で気になった施設がある。街頭でピックアップして街頭で返却するタイプの貸し自転車スタンド(無人)である。ちょっと登録すると無料で使えるらしい。そういえば、同じ様なスタンドが Schwedenplatz 駅周囲にもあったような気がする。これに乗って蘭と市内を回ったら楽しそうではあるが、公共交通が発達しているウィーンに置いては余り魅力を感じない。
さらにその向こうを行くと、バイク屋さん(開店遙かに前)があった。元々二輪車は好きで、学生の頃はバイクに乗っていたこともあって、興味をそそった。そのお店にはホンダの商品が主として置いてあるようだった。値段はそこそこだが、CBR系のバイクが多かったようだ。ちなみにお値段はCBR600Sが7990Eをディスカウント6399E。
ファイヤー柄のつなぎもディスプレイされていた。昨晩の Wienner wald とかでもメニューにあった geb. などの特有の略語。同じ様なファーストフード店があって、メニューと共にドイツ語の説明が書かれている。蘭は "geb" というのはセットメニューを表すものではないかという。
確かにその店のメニュー写真を見るとそのようにも思える。そういったことを話しながら歩く。もっと先には T-mobile の携帯ショップ、さらに行くと
ストリップショーのポスターが貼られた無人ショップがあった。女性が前屈して尻を大きく男に尽きだしそのまま結合しているという扇情的なイラスト。
のちのちも蘭にその話をしたら少し動揺していたので、蘭もそれなりに感じるところがあったのだろう。ついたのは、昨日ランチをしたGasthausの近く。ウィルヘルム像のところで写真を撮る。駅についてそこでしばしお別れ、蘭にウィーンのガイドブックを渡して私はそのまま会場へ向かった。

さて、本日午前中のセッション一発目は肺癌病期診断。ちょっと何かあったら陰影として写るがその区別が難しい肺病変。PETも含めて解説してくれたのがスペイン人のコンビであった。部屋のレイアウトが特殊で、細長いところにある程度以上の人数を詰め込むもんだからすぐそばに講師がいるのにモニターで拝聴するハメに。途中聴衆の答えを募るような場面も多数あったがそれがどの程度反映されているんだろう。案の定見えないところ(おそらく講師目の前の一群と思われる)で盛り上がってる。この講座でのメッセージとしては
・胸壁浸潤は切除の対象となりうる。が、各モダリティでの診断精度には限りがあるので所見の記述にとどめよ。
・N因子については明らかにPETが優位であるので、PETでN1-2→縦隔鏡(合併症~4%)で確認するのがよい。
・手術に成りそうな患者はすべてPET/CTを行うべきである。T4,N3,M1といった切除不能患者を除外する。
・MRIを副腎病変の鑑別に(これは少し古い;今はCTで十分と思われる)
・2/3の再発は胸郭外;最初の一年は3ヵ月後ごとにCT、以降は半年に一度。
・常に以前の画像と比較するべし。また、所見があった場合には再発以外の可能性も常に考えに入れておく
・セカンドプライマリーは年に1-2%、注意を払え

その後乳腺のMRI,そして大混雑のランチョンセミナーへ。ランチの箱の中には大雑把なサンドイッチとミネラルウォーター、ケーキ、バナナがざっくりと入っている。このミネラルウォーターはウィーンで売っているのをよく見かけるブランドのRoemerquelle。古くはローマ時代にさかのぼる「由緒正しい」飲料で、オーストリア・エーデンシュタールが水源らしい(当該サイト)。オーストリア市場1、2位の売れ行きであったが、2003にはコカ・コーラHBCの傘下に。今回のセミナーの主題はヨード造影剤と腎障害についてで、主役はビジパークという等浸透圧造影剤。元々はアマーシャム社というイギリスの会社で出していたものであるが、2004年にGEが買収。老舗と言えど国際的に流動する資本の風に晒されている。米国サブプライムローンの焦げ付き問題が欧州へ飛び火し株価の暴落を引き起こしたように、欧米間でのマネー往来は複雑怪奇かつ深い。外からの資本を「ハゲタカ」とみなして、司法も行政も全力で老舗企業を守ろうとする日本がこの先通用するのか。さて、ランチョンセミナーはGE主催であり、当然のごとくビジパークの大宣伝。イントロでアメリカ人医師が軽いジョークを交えつつ講師を紹介。講師は二人のイタリア人で、一応の「権威」のようだ。口角飛ばしながらいかにビジパークが優れているか暗に陽にしゃべり続けている。耳にやかましく不快に響くイタリア人の英語。うんざりしながらの一時間が過ぎた。

多少グロッキーになりつつ、蘭の待つホテルへ戻る。今日はシュテファンプラッツ界隈へレッツゴー。予めカフェの探索をしていた蘭が言うには、座っても誰も来てくれなかったりと、辛い思いをしたようだ。

ウィーンと言えば、カフェ。カフェと言えばウィーン。「コーヒーはエチオピアからアラビア半島を経由し、ウィーンにも攻め込んだオスマントルコ帝国に広まった」(日経新聞2007.8.4付け、NIKKEIプラス1S15)。ヨーロッパのカフェ文化はウィーンから始まったといっても過言ではなかろう。世界最古の新聞は1703年創刊の"Wienner Zeitung"紙であるが、当時新聞はコーヒー一杯の二倍以上の価格であった。その、新聞が読み放題とあってウィーンのカフェは魅力的であって、トロツキーやクリムトも通いつめた。かつてバブルの頃に、フランスかイタリアのアーティストが東京を評して「ヨーロッパは歴史の重みに押しつぶされそうになるが東京は日々変化する都市であり、そこが魅力である」と言っていた。無いものねだりは人情であり、数百年前から連綿と続く文化に限りない憧憬を感じると日本人の私としては思うのである。

まあとにかくカフェで一服しようということになり、いろいろシュテファンプラッツ近傍へU-bahnを経て到着。日差しは明るく汗ばむような陽気だ。多くの人々が通りを歩いている。列を組み大声で何かを歌っている女子学生。金銀いろいろアリの「彫像パフォーマンス」(Statue Street performer)などなど。黒くくすんだシュテファン寺院や石畳と好対照を成す「生」の証。今までも、これからもこの場所は未来永劫世界中から人々をひきつけ賑わうのではないか。そんな風に思わせる名状しがたい魅力がここにはある。せっかくだから写真を撮ろう。そう思ってシャッターを押してくれそうな人を蘭と物色。なんだか話しかけにくそうな人々ばかりだったが、まさにその人はそこにいた。ベビーカーに子供を乗せた若い夫婦連れ。すかさず歩み寄って、"Wollen Sie uns photographieren?"とおそらく変なドイツ語で声をかける。訝しがる旦那。すかさずその嫁が我々の意図するところを理解してくれた。そして記念撮影。

さて、行く先のカフェ。いくつかは既に蘭がめぼしをつけている。少し裏路地を入って行って様なところに様々なカフェがある。店を探しているときに見つけたのが銃やナイフをディスプレイしてある店。男としては沸き立つものを感じるが、これらは本物なんだろうか。サバイバルナイフのようなもの、拳銃や猟銃、ライフル銃のようなもの。もしかしたら玩具店なのかもしれないが質感はそこそこ。そうこうしているうちに、目当ての店が見つかるがなんとなく入りづらい。さらに探索を続けて見つけたのがBräunerhof Konzert-Café である。少し裏路地に入ったところにそのカフェはある。一旦ドアを開けてはいるとそこはもう歴史的な空間だ。19世紀の雰囲気そのままの内装で、右手には大量の新聞がファイルケースのようなものに挟んでおいてある。ほとんどはドイツ語のようだ。メガネをかけた、レンブラントの肖像画のモデルのようなウェイターに通され着席。なんとなく緊張する。妖しげなドイツ語で注文した後改めて店の中を見回してみる。おそらくは、1-2世紀前から、そしてこれからもこのような佇まいで来客を迎えるのであろう確固とした内装。少し蘭と話していると、3人組が室内楽の演奏を始めた。このような音楽を生で聴ける喜びはめったにない。まるで春の宵闇のような心地よさだ。そうしているうちに、水のついたコーヒーが運ばれてくる。隣のテーブルでは地元の人らしいカップルがカジュアルに楽しんでいるというのに、当方は緊張気味だ。そして、お勘定。チップが絡む支払いにはストレスがついてまわる。くだんの肖像画ウェイターがSechzehn und acht みたいなことをいうのでよし、チップ込みで17Eだな。おk…
と早合点して請求書に書き込む。Richtig と言うと、ハイジのロッテンマイヤーさんのイメージで片方の眉をピクリと挙げ、しかも目を丸くして "Danke Schoen" と言われた。少しビビリながら頭の片隅で再計算すると、チップとして彼にあげたのは200セント、このときのレートでせいぜい50円ぐらいだろう。まるでガキの使いだ。驚かれるのも無理はない。あー失敗、失敗という申し訳ない感情に責められ、蘭にその旨はなしてみる。「ま、しょうがないじゃん」というような調子で慰められる。こういうときの蘭はすごく頼もしく見える。
店の外に出るとまだ日は高い。春を50歩も100歩も先取りしたような陽気の下、蘭と別れて再び学会会場へ向かう。テーマはCT仮想大腸内視鏡だ。ターフバトルを考えなければ非常に有用な検査手段で、そんなに身構えることもないのにと思うが、一般的に内視鏡の下手な欧米消化器内科医にとっては倒すべき敵のように扱われているのだろうか。UKのハリガン先生がそのあたりの話をユーモアを交えて解説してくれた。仮に同等レベルのsens/specでも、CTの費用がはるかに高い当地では cost-effective analysis においては分が悪いようだ。

本日のECRはこれにて切り上げ。宿に戻り既に日の落ちたシュテファンプラッツ界隈へ蘭と繰り出す。目的はグラーシュ・ミュージアムだ。ここはウィーン名物と言われるシュニッツェルのほか、往年の二重帝国の香り漂うグラーシュを非常にリーズナブルな値段で楽しめる。ヴィエナ・シュニッツェルとブルスト入りグラーシュ、テーブルワインを頼み料理を待つ。そのとき、すでに懐かしい響きの言葉-日本語-を話す二人組みの男が入店した。我々の席の隣に座り、ウェイトレスさん(女二人で切り盛りしているかのような雰囲気がある店である)がオーダーを取りにくるもかなり戸惑っている。メニュー見て指差せばいいのだろうが、彼らは緊張しているのか半ば挙動不審人物のような言動だ。渡り船を出そうかと思ったが、いやみっぽいように思われたのであえてそうはしなかった。去年来た時ブルストのスタンドの脇で困ってる日本人女性旅行客に話しかけたら蛛の子散らすように逃げられたことがあったのも影響しているであろう。食事の後、店がすっかり閉まったシュテファンプラッツ近傍を散歩した。暗闇の中に照らされ、ディスプレイされる商品。なかにはじゅうたんや絵画、ニンテンドーDSまであった。そのとき、教会脇に停めてある馬車が目に入った。去年ECRに参加したときに、蘭と一緒ならこれに乗りたかったと蘭に言ったことを思い出す。まるで劇中の人物のように。そのことを蘭に指摘されて少しばつが悪い思いをした。

Tuesday, August 07, 2007

2007ECR記 3 2007.3.10

(ウィーンに咲いた桜、フランスから来た男)
MC 518 Woman's imaging Changing paradigms in the evaluation and management of breast and ovarian cancer
US で indeterminate とされた病変のMRIによる評価、卵巣癌におけるTNM 、乳癌の局所広がり診断と三つのセッションからなる。卵巣癌については、開腹での病期診断+腫瘍量減量手術のコンセプトから切除の是非、そして化学療法による腫瘍量という流れにあることは初めて知った。

SS 601 Abdominal viscera Whole-body imaging
全身検索、というくくりのためか扱うテーマは広く不均一で興味深かった。全身検索のMRIについては3TのものやPET/CTと
比較しているといった演題で、diffsuionのものはなかった(B251-3)。どれも労力の割には見返りが少ない印象であった。
DWIBSの研究は今ひとつ停滞気味のようだ。 Sens/Spec ともに中途半端なのかもしれない。
ついで、腹部リンパ節についての演題(B254-5)。B254 は#16リンパ節転移について短径 8mm 以上、不整な形態、
集簇、血管浸潤という基準を打ち出したもの。しかし特異度 87.9% をサイズクライテリアも含めるようなもので出せるのだろうか疑問ではある。B255は腹部リンパ節の結核 vs リンパ腫を比べたもので、前者は multilocular・不均一な造影効果・輪状造影効果・下部傍大動脈リンパ節 involvement がより少ない、といったことが鑑別点になるという。しかしながら腹部リンパ節結核自体頻度はきわめてすくないという印象で、果たして鑑別が問題になるような症例はあるのだろうか。
AIが二例あって、B260 は剖検所見をgold standard として、死後 CT/MRI +エコーガイド下生検の有効性を二重盲検で検討したもの。非心疾患死では70%の合致率であったというもの。法医学と臨床とのまさにニッチな分野だが普及する目はなさそうだ。興味深い内容ではあったが。
ここで午前中のセッションは終了、蘭の待つホテルへ飛んで帰る。Schwedenplatz 駅から歩いていると、異様な光景に気がついた。駅とホテルとの間には左手にウィーン最古の教会である聖ルプレヒト教会がある。その庭にどうみてもソメイヨシノにしか見えない桜の花が咲いていた。雪の残っていた去年と比べ今年は温かいとは言え、桜など本当に咲くものだろうか??

近くによって写してみても、日本の桜にしか見えない。ホテルへ戻り、蘭を誘い出して花見。蘭が桜を背景に私を撮影しようとしたとき、何か困惑の表情を浮かべていた。後で聞いてみると、どこかのおじさんが一緒に写ろうとしていたらしい。その後、この近くのインテリアショップを冷やかしがてらランチに。この教会の近くにギリシャ料理の店はあるのだが、内容がイメージできないのとやや高めであることから旧市街へ繰り出した。最初は屋根のついたカフェに腰を落ち着けようとしたのだが、どうみてもティータイムのケーキぐらいしかなさそうなので案内はしてもらったがすぐに抜け出した。すると、Nordsee というシーフードレストランを発見。キャフェテリア方式で、食事を取り分けてもらった後レジで精算、その後に食事というスタイルだ。私はパエリアとホタテのフライ、ビール、蘭はスープとサラダを注文し高いスツールに座り食事をした。値段はお手ごろでそこそこ美味しいので軽く食事を取るには向いている。天気は怪しかったが、街をぶらぶらしながら途中で見つけた書店へ。蘭は興味がなさそうだったが、私はオーストリア語辞典と中世甲胄・武器の本を購入。
午後に参加予定のセッションの時間が近づいたため学会場に戻った。

NH8 Latest advance in breast imaging
ECR today にも紹介されていたセッション。印象深かったのが フランスのRalph Sinkus 氏による MR elastography (A165)。鮮烈な動画で「硬さ」の診断がプレゼンテーションされていた。同じ癌でもスキルスと粘液癌では異なった所見が出るかと思われた。それをセッションのあとに質問してみたところ、同氏もそのようなデータを得られていると言うことだった。その点での満足もさることながら、自分の英語力に少し自信が増した気がした。このようにじかにあって話が出来るというのは何にも変えがたい経験であろう。
このセッションではこのほか MRS と optical tomography の話題もあった。

さて、日も暮れてホテルに戻り、蘭と談話。今日の夕べは某製薬会社主催のご当地セミナーがある。それについて話をしているうちに、蘭の表情が曇った。「え、製薬会社の人と話をするの?」「あ、うん。世間話みたいなもんだよ」「そんなのだとは思わなかった。私行かない」
突然の参加拒否に戸惑いつつ雰囲気は少し険悪になった。何でそのぐらいで怒るんだろうと真意を測りかねていたが、蘭にして見れば見知らぬ分野の見知らぬMRに多少なりとも突っ込んだ話になりそうなのが嫌だったのだろう。結局承諾して夕食は近くのスタンドでピザなどを購入して終わった。

Friday, August 03, 2007

2007ECR記 2 2007.3.9

(学会初日。プラター公園、意外なコンサート)

学会第一日目。ホテルからは乗換無しで学会会場へ行ける。蘭もお気に入りのホテルの朝食(特にチーズとハム、ソーセージ類が別格)を取ったあと、会場へ向かった。ホテルから駅までは数百メートル、すでにウィーンの朝は始動している。ゴミ回収車、駅前のサンプル配りのお姉さん、無料で配布される新聞 (Öestereich 紙など)。それらをくぐり抜けながら地下鉄に乗る。改札に人はなく、ただ日付を打刻する簡単な装置が取り付けられているだけである。切符を買う人はあまり見かけず、そのまま出入りしているようであった。何か定期券のようなものを買っているのかもしれないが。Schwedenplatz 駅からU1(赤色の路線)に乗って5駅の Kaisermühlen-Vienna int. centre. で会場だ。降りる駅ではおそらくは同業と思える人々が画一的にオーストリアセンターを目指して歩いていた。様々な言語、体臭、髪の色、服装等々。ここは既に非日常的な「国際」の現場だ。放射線医学の徒が全世界一同に会する熱い現場なのだ。その群衆へ参加しているという喜ばしくも緊張に満ちた、私にしては殊勝な心構えでいた。会場に着くと、入り口のあたりで多くの人々が煙草を吸っておりもうもうとしている。日本や米国ほどは喫煙への規制は強くないようだ。すくなくともここウィーンおいては。学会速報紙 "ECR TODAY 2007" が配布されている入り口をさらに入ると、左手に学会バッグ(プログラムなどの資料が多数)をくれるブースがある。今年のバッグは去年のよりは使い勝手がよい。去年のECRでは新しい試みとして学会ラジオ局開設とその視聴装置を配っていたけど、今年は取りやめたようだ。

各セッションごとに評価シートが配られ、それに予めもらっていたバーコード付きのIDシールを貼って終了時に提出する。これが参加した記録となり、後にオンラインで CME 証明書として利用できる。提出しないと記録に残らないので注意。本日は下の2セッションに参加。
RC101 Ambominal and Gastrointestinal Imaging malignant liver lesions
転移・非硬変肝における原発性肝悪性腫瘍・硬変肝における原発性肝悪性腫瘍の三つに分かれている Refresher course. どこかで聞いたような内容であまり印象に残らず。

SS205 Computer Applications CAD and automated image analysis
CT colonography の CAD が三題、肺結節の評価が二題、 卵巣癌における histosacn 、全身MRIでの脊椎転移検索の CAD, dual energy CT など。 CTC についてはエキスパートではCAD不要→専門性の主張? (通常 CF との勝負はやはりつらそうだが)、腸管前処置はより楽な tagging へという流れになるのかも。Histoscan の原理はいまひとつよくわからないが 3D US のデータを用いて超音波の背景散乱を解析、組織型の推定(癌か否か)を特殊なアルゴリズムで解析するもののようだ(histoscanning.comの資料より)。卵巣のみならず、乳癌や前立腺癌での臨床応用が可能らしい。生検に代わりうるものにはならないだろうが、ある程度正確に診断できるのならば診断・ステージングのプロセスに割り込む余地はありそう。
シーメンスのマシンによるDual energy CT では X線スペクトラムの解析により、同じ高濃度でも石灰化と造影剤による染まりの区別が可能になるとのこと。"Virtual pre-contrast" の発想が面白いが臨床応用の範囲は狭そうだ。Dual energy といえばかつて肺結節の解析に石灰化の検出による良悪性の鑑別で一度挫折している。

そうこうしているうちに、午前中のプログラムが終了。RSNAほどスケジュールがタイトではないので、ランチタイムはじっくりとれる。午後に聞く予定のセッションは4時からだ。その時間に、蘭と出かける予定で居た。待ち合わせは会場近くの駅だ。…予定時間を過ぎること30分、蘭がくる気配もない。退屈しのぎがてら外を撮影。すると、携帯が鳴って取ってみると 「どこにいるの」。明らかに声が怒っている。「IDチェックのところにいるんだけど」むむむ、駅から会場への一本道で待機していたのにいつの間にか通り過ぎたんだろうか?少し話を聞いてみるとどうやら学会会場とは別のところにたどり着いたようだ。

その後駅で落ち合い、プラター公園へ向かった。U1 で praterstern 下車。徒歩で10分、うららかな日差しの中並木林を行くとおそらく観覧車では世界でもっとも有名であろう、映画で見たあの構造物がそこにあった。観覧車を背景に、蘭と写真を撮る。そう、これが有名なウィーン大観覧車なのだ(サイト)。チケット(8E)
を購入し、黒人受付員が半券を切って中へ。展示物の脇を通り過ぎると、白人の受付員が何かを聞いてきた。よくわからなかったので聞き直すと、どうやら記念撮影がいるかどうかということだった。いらない、とこたえるととっとと消えろといわんばかりの勢いで乗車口は向こうだ、といわれた。観覧車はゆっくり回っている。赤く箱型のゴンドラに乗り込む。人が乗り降りするたびに一時停止させており、回転速度は不均一だ。異国の空の下、蘭と私のためだけに少しの間用意された専用の空間。一個後ろの個室には大きなテーブルと椅子が並べられている。内装は各々異なるんだろうか。内側は板張りになっているが、多数の落書きがなされている。我々と同じように、かつて一時的にゴンドラの主だった人々が書いたものだ。周りに誰もいないのを確認し少しいちゃいちゃした。「やらしい声出して~」とからかうと、ぽかぽか叩かれて「もう何もしゃべらないよ」とむくれた。そんなところも可愛いのだが。上ってきたところで窓を開けて外を見ると、デザインの統一された建物の屋根屋根が整然と並んでいた。

蘭が、「第三の男」のあのメロディを口ずさむ。その横顔ははっとするほど美しく感じた。この時間が永久に続けばいいのに。

観覧車から降りて昼食を取る場所を探した。園内は他にジェットコースターなどもあるが全体的にうらびれた感じで、カフェテリアみたいなところは煙草の煙で充満していた。しょうがないから外へ出て店を探す。すぐそばの Praterstrasse にある "Gasthaus" という店があり、メニューを見ると手ごろだったためそこで食べることにした。人のよさそうなおじさんが切り盛りしている。周りに観光客らしいのはいない。白身魚のフライ、ポテトの添え物、スープなどで 22.7 EU。なんだか割高な感じがする。請求書を前にうなっているとまたおじさんがやってきて "without tip" というので 24E 払って外へ出る。そこでいったん別れて私は再び学会場へ戻った。
*注釈
プラター公園の観覧車は最も古いものの一つで(参照)、建設されたのは1897年である。地下水道とともに、オーストリア帝国の栄華を象徴する建造物であり、映画「第三の男」においても舞台となった。闇商人として小悪に手を染めるハリー・ライムは「古きよきオーストリアを象徴する人物であり、第二次大戦敗戦後の英米仏ソ四分割統治下にあってはむしろレジスタンス的な魅力を放っている」と論評する人もいる(参照)。戦後復興の中、30あるうちの15のゴンドラのみ交換すればよいぐらい保存状態はよかった。ちなみに、ウィーンは9Mも掘ると古代ローマの時代の層に到達しうる。後述するFreybung で駐車場建設のため掘り返したら12世紀の歩道が発掘されていたりもする。欧州都市の地下は連綿と続く歴史の中にあるのである。




午後からのセッションは
CC416 The staging of cancer staging nodal and distant metastasis
であった。骨、腹部、リンパ節転移についての概説。復習にはなった。
その後、Dr. Stephan Swensen (ロチェスター)による Inaugural lecture と、恒例の opening concert. 自らのルーツがドイツ系移民のようで、それに絡めたスピーチが行われた。主題としては欧州と米国との相互関係のようだった。今年の学会頭の Christian J. Herold 氏は教育に力を入れることを明言した。名誉会員の表彰では京都の富樫かおり先生が受賞していた。
コンサートは今年もクラシックのみかと思いきゃ Joe Zawinul、Sabine Kabongo によるソウルフルなジャズセッションが引き続いて行われた。ツインピアノから始まり、魂のこもったアフリカ出身 Sabine のボーカル、奇抜な楽器を用いたワールドジャズとでも表現すべき楽しげなセッションであった。*Joe Zawinful氏は2007.9.11逝去された。

その余韻を残しながら、ホテルへ戻る。少し休んでから、夜のウィーンへ散歩に出かけた。当然最低限の警戒は必要だが、治安はいいと思う。夜は特定のスポット以外は閑散としている。オカマバーらしい所もあって中に入ってみたがまだ開店前だった。
突然、立体的に交差する上の方の道路からビンの破片が落ちてきた。きらきらと街頭に照らされており、不穏当な例えだが 「水晶の夜」という言葉が思い浮かんだ。理不尽ドラマのような展開だが。その後 Freybung の方で Wienerwald というレストランに入り軽く食事をした。ビール、ミネラルウォーター、フライドチキンなどで 15E。夜のウィーン市街地は時間を閲した古い建物群が石畳の道路をどこまで行っても続いておりなんともいえない風情がある。ホテルへ戻り就寝。蘭は疲れたのか先に寝てしまった。私の腕に抱かれて眠る蘭。肌を通して感じる体温が暖かだった。こっそり寝顔を撮影。

いつかの、七夕奇譚

牽牛・織女の逢瀬を見るのならば、オーストラリアの方が適しているようだ。太陰暦の七月は現在の暦では8月であるが、太陽暦となってからは梅雨真只中であるからだ。その年の7月7日、私は「彼女」とケアンズのビーチにいた。この時期のケアンズはちょうど乾季で、常夏のリゾートに於ても過ごしやすいシーズンだった。元々この旅行は「彼女」の提案であった。前提として、未来は五里霧中の関係であったが、それでもその「彼女」とは数年続いていた。しかし、ここ数ヶ月掛け違いのファスナーが一端に達するかのように急速に不安定さと違和感が高まっていた。まるで梅雨空のような気持ちのまま、それを振り切るようにケアンズへの直行便に乗ってやってきたのだ。時期的に航空券は安く入手できるのだがお互いの仕事上の調整に少し手間取った。それでもようやく成田空港で待ち合わせ、「彼女」と落ち合ったときは安堵したものだった。



そして七夕の夜、ビーチ近くのホテルから連れ立って星を探しに行った。人気の少ない桟橋で、夜空を見上げると圧倒的な星の量で、天の川はまさに milky way という表現の如くうっすらと白く空を流れていた。日本とは星座の形が反対で見つけにくくはあったが、牽牛・アルタイルと、織女・ベガはまさにそこにいた。天の川に隔てられる古代のカップルは一年ぶりの逢瀬に何を思うのだろう。その絶景に魂が抜かれたようになり、「彼女」とどんな言葉を交わしたかは覚えていない。ただ、ホテルの部屋に戻り明け方近くまで激しく交わっていたのは体が覚えている。スリムで学生時代にバレーボールをやっていたというしなやかな「彼女」のボディライン、膣の位置・造形は私の体の凹凸とよく合致し、なじんだ。「体の相性」とはまさにこのことを指すのだろう。悩ましく部屋中に響き渡る嬌声は今思い出しても陰茎が反応するぐらいだ。朝日が差し込むけだるい雰囲気の中うとうととしていると、そっと彼女の囁きが聞こえたような気がした。夢の中のコトなのかもしれないが、一言「苦しい」と。

その後数日近傍の島へクルーズに出かけ、グレートバリアリーフをぼんやりと見ながらだらだらと過ごして旅を終えた。帰国後、成田から東京まで戻りそのまま駅で別れた。電車の扉が閉まり、動き出しても「彼女」はまだこちらを見て手を振っていた。私も手を振り返そうとしたがすでにホームを離れ「彼女」の姿は見えなくなっていた。ふと服のポケットを見ると、おそらく現地で買ったのであろうポストカードが入っていた。みると「彼女」の字で「ありがとう、一生忘れられない旅になりました」と書かれていた。胸のざわめきが起こったが、旅の疲れにかき消された。翌日からはもう出勤だ。溜まっていた業務に忙殺された一週間が過ぎ、「彼女」の携帯に電話を入れてみたが「この番号は現在使われておりません」。焦燥に駆られながら、「彼女」のマンションに行くと既に居を払っていた後であった。何も痕跡を残さず、私の前から忽然と姿を消した。心のどこかではこうなることは判っていたのかもしれないが、いざ現実のものとなると虚脱感にとらわれた。