Tuesday, October 16, 2007

2007ECR記 5 2007.3.12 

(多民族の市場、宴)

本日も快晴、部屋に差し込む朝日が明るい。たかだか数日目のステイであるが、すでに何年もそこに住んでいるかのような錯覚に陥るほど落ち着けるホテルである。冷蔵庫の上においてあったピザ(昨晩帰りがけにスタンドで購入したもの)を噛って朝食を食べに降りる。いつものハム、ソーセージ、チーズ、スクランブルエッグ、諸々の黒パン、シリアルなどなど。いつもの給仕の女性が朝の挨拶をしてコーヒーを入れてくれる。おそらくはECRの参加者と思える宿泊客がまばらにいるが、常に空いている。もはや「日常の朝」といってよいような状態で、せせこましくブレックファーストの心配をしながらバスを待つ長蛇の列に加わるRSNAとは全く異なる。部屋に引き上げがてら、少ししか読めないけどご当地の新聞を一部二部持って行く。蘭が持参したPC(奇しくもいつも私が使っているやつと同系列のもの)で情報をチェックしつつ朝の身支度。新妻を後ろ髪惹かれ残しつつ出勤する高度成長時代のサラリーマンよろしくホテルを出る。今日の予定は半ば決まっているが、半ば未定のまま。
本日午前出席したのは
RC1301 Small nodules in cirrhotic liver: what to do
SS1402 Advances in MR imaging

ランチには Am hof 近くのアジアンレストランまで足を伸ばして焼そば、サラダ、スープで軽く食事を取った。調度品は中華風であった。


「おてもと」と書かれた割り箸、キッコーマンしょうゆの小瓶が郷愁を幾分惹起する。そしてU4に乗り、向かうはシェーンブルン宮殿である。ハプスブルグ家の離宮として代々使われ、世界遺産にも指定されている。リーニュ将軍をして、「会議は踊る、されど進まず」(Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas.)と言わしめたウィーン会議はここで行われた。行く途中、目の前にいたおばさんがドイツ語で何か述べた後、肩掛けのかばんから何か取り出し周囲のチェックを始めた。どうやら切符を持っているかどうか見る係りらしい。少し慣れて期限の切れた切符でU4に乗っていたので一瞬にして血の気が引いた。見ると周りの人はちゃんと切符を買ってあってそのおばさんに見せている。そして、私と蘭の番になった。「何もわからない外国人のふり」をして期限の切れた切符を見せた。高まる心拍数、急騰するアドレナリン。なにやら「厳重注意」のような小言らしきことを言われて開放された。チェックとは名ばかりなのかもしれないが、やはりちゃんと切符を買おうと言う思いにさせられた。ここでヒステリックに警察沙汰だのにされない鷹揚さが私は好きだ。ほうっと安心するのもつかの間、ワイルドターキーの瓶をポケットに、手には缶ビールを手にした無軌道を絵に描いたような若者が乗車し、そばまで来た。若干恐ろしかったが何事もなく彼らは降りていった。席が空いたので座ってみるとポップコーンの袋とその中身がその席にはぶちまけてあってなんともいえないカオスをかもし出していた。そしてシェーンブルン駅に到着。駅舎の雰囲気から、周囲の町並みまでなにかが違って感じられた。駅を出ると左側は川になっており、右側を行くと庭園の北東部の門にたどり着く(地図。庭園に一歩足を踏み入れるとそこは目に見えない秩序と歴史、整然と整えられた異空間だった。すでにウィーンという異国の地にあって、非日常感がなかば麻痺したような状態になっていたがここは別格だった。
どこまでも遠くに続く道は白い砂利で覆われており、宮殿の北側を北西に向かって進む。

地元の人の憩いの場でもあるようで、時折親子連れと行きかう。右手を見るとなにやら工事が行われていたが、それがなんなのかはわからなかった。しばらく行き、宮殿の西側から広大なフランス式庭園へ。観光客の数も多いが、ここはそれをはるかに上回るキャパシティで、開放感に溢れている。南を見ると、小高い丘がありその上にはかつて食堂として使われたグロリエッテが荘厳な姿を見せている。宮殿は黄色調に塗装されており、初夏の色さえ見せる青い空と心地よいコントラストをなしていた。


今年は異例の暖かさで、上着を着て歩いていると汗ばむぐらいだった。宮殿を背景に蘭の写真を撮る。今日の蘭は旨が大きく開いた白いワンピースで、その肌はいつにもまして艶かしくしっとりとしていた。にっこりと微笑む蘭と、ウィーン風ロココ様式の宮殿。被写体としてこれ以上眩しい組み合わせがあるだろうか。ふとみると宮殿内を見学するツァーもあるようだが、まずは庭園を歩くことにした。南北約 1km、ゆったりと蘭の手を引いて歩いていると、ウィーン会議当時の紳士・淑女にでもなったかのような空想がとめどなく流れる。丘のふもとには「ネプチューンの泉」といわれる噴水があり、濃い茶色の水をたたえている。反対側には三叉を構えた海神ポセイドンの彫像のほか、何体かが配置されているが、その寓意するところはわからない。この噴水から左手には「動物園」があり、その手前からグロリエッテへ上っていくつづら折れの小道が続いている。その道の手前にはなにやら小さな「断り書き」の立て看板があった。ドイツ語で記載されていたが、単語が難しく辞書で調べてみた。それによると、「季節によってはぬかるんで滑ったりする恐れがあるので、小道を上る際には自己責任で」という旨のことが書かれていた。去年なら確かに小雪が残っていたかも知れないが、今年は異常な温暖化、道はさらさらに乾いている。さて、頂上を目指すところだがこれが意外に距離がある。汗ばみながら二人で歩を進めようやくたどり着いた。

空気は透明で澄んでいる。白色調のグロリエッタの側にはカフェがあり、ほぼ満席の状態だった。ローマ兵士風の兜、鎧の彫刻で飾られている。造形はともかく絢爛として力強い。


ここで少し休憩を取った。そこから下に降りる途中、スキーのストックを持って降りる人が少なからずいることに気がついた。

雪が積もっているわけでも無いのに何故・・・?聞いてみようと思ったが、蘭に反対された。後に知るのだが、どうやらそれはトレッキングステッキという軽登山用の道具らしい。先の看板にあったように道はぬかるんでいるかも知れず、また膝への負担を軽減するために、この小山を上り下りするためには必要な道具だったようだ。
余韻覚めやらぬまま地下鉄に乗るも、途中少し散策してみたくなって Ketten Bruecken Gasse
駅にて下車。駅舎を出て歩いていると、通りに屋台のような店が密集しているところを発見した。ここがナッシュマルクトで、ウィーン市民のための中央市場となっている。
Google Map
一番駅側にあったのは、雑貨であったが、奥に進につれ殆どが食品店となっていく。傾いた日が二人の長い影を道に映し出す。

ナッシュマルクトについて
写真を撮ってみるとジャコメティの彫像のようなシルエット。物売りの呼び声、客の話し声…飛び交う言語はドイツ語から殆どイタリア語にしか聞こえない英語まで様々だ。ここにはトルコ人の屋台からイタリア風の漬物、野菜、ハム、ソーセージ、チーズそのほか諸々の香辛料などなど非常に「国際的な雰囲気」がする。小腹が減ったのでドネルケバブの屋台で肉をゲット。何を言い間違えたのか串焼きではなくサンドイッチが手渡された。といってもそれは普通に想像されるような、例えば食パンに薄くスライスされた肉が挟まっているようなものを想像してはいけない。パンの部分は、いわば「肉まん」のそれに近い白くスポンジ状のもので、中には味付けの肉がたっぷりつめられている。それでも旨そうな香りに抗することはできず、歩きながらぱくつく。蘭にも一口食べさせてみた。この屋台通りにはテラスや店内で食事を取れるような店もたくさんある。中には「寿司」を看板に掲げているところもある。どこまでいっても店、店、店…。時間を気にせずゆっくり回るにはとても興味深いところではある。少し腹も満たされたところで、オープンテラスの店で一休み。蘭と話をしているところに、貧相な身なりの親子が自分たちのテーブルのところへやってきた。なにやら物乞いのようだが無視しているとほかのテーブルでも同じようなことをやっている。あとでわかるのだが、彼らは「プロ」の物乞いのようだ。幼い子連れで少し情にほだされたのは事実ではある。
一休みした後に、さらにカールスプラッツの方向へ向かう。歩いているうちについにナッシュマルクトを過ぎた。そこから河に並走する大通りを渡ると、向こう側に奇妙な建物が見えた。「金色のキャベツ」とでも表現できる不思議なオブジェを載せた建物だ。これを見たときは何かの宗教的施設かと思ったのだが、これが「分離派会館」だったのである。世紀末ウィーンのアートシーンを飾ったグスタフ・クリムト、オットー・ヴァグナー、オスカー・ココシュカ、エゴン・シーレによる Jugendstill(アールヌーボー)の拠点である。
カールスプラッツの駅舎に入ると、若人が通路で酔いつぶれていた。白い通路の壁には様々な「時計」がデジタルの時刻を表示している。「核戦争の危機まであと何時間」と言った類の、社会的なテーマを主体としたタイムリミットの集合である。記載はドイツ語だったので詳しい意味はわからないが。


ホテルへ戻り、今夜の宴のためにしばし準備。今夜の宴は Gasometer で行われるECR主催のパーティである。特にドレスコードのようなものは設定されていないようであるがさすがに普段着で参加する気は起きない。とはいえ、燕尾服を用意しているわけでもないが。Gasometer は地下鉄 Schwedenplatz からU1(赤)で Stephansplatz へ、そこで U3(オレンジ)Simmering 行きに乗り換えて七駅である。したがって、ホテルからは30分弱かかった。Gasometer とは奇妙ではあるが、その名が示す如く元々は1869年に建設されたガス貯蔵庫である。1970年代における(石炭ガス由来の)都市ガスから天然ガスへの変遷に伴い本来の用途としては使われなくなったとWikipediaの記述にはある。それ以降は様々なテナントや学生寮などを複合した一つのコミュニティを形成し現在に至る。公式サイト
地図

さて、我々は宴の開始時刻にどうやら間に合って Gasometer の駅を出た。初めて目にする円筒型の建物‐正にガスタンクそのものだ。よくわからない一番手前のガスタンクに入ってみると回廊上に構成される各階があり、取り敢えず上を目指す。同じように会場を探しているらしい人々と一緒だ。ところが上に着いたところでそこは行き止まりと気がつく。少しあせりつつも、踵を返す他人に付いて行く。パーティ会場(BA-CA hall)入り口は四棟並ぶガスタンクの駅から二番目のもの(Gasometer B)。駅を出て右手に進むと大きなファサードを持つ入り口に着く。受付でコートを預け、ウェルカムカクテルをもらって会場へ。ここは wikipedia の記述によると 2000-3000 人を収容するホールである。すでに多くの人が集っており、宿木を探した。飲み物は簡単に得られたが、食べ物はビュッフェ形式で供給開始と共に長蛇の列を成しておりすぐにあきらめた。暗い会場に飛び交う熱気のこもった外国語。しかし異邦人たる我々には理解しがたい。なかば圧倒されつつも蘭と他愛のない話を続ける。会場は入り口から見て右手にビュッフェがあり、正面にはステージ。背後には特別席と思しき一帯がある。彼らは並ばずともどうやらご馳走を得られているようであった。雰囲気も少し違う。

やがて宴の幕開けだ。最初はややマニッシュな女性 Hermine Haseselböckのメゾソプラノ、ついでウィーン会議を髣髴とさせるヨハン・シュトラウスのワルツである。欧州老紳士の嗜みなのか、ワルツにあわせて踊っていたのは年配の参加者であった。しかしその姿は優麗華美である。音楽の都ウィーン。揺るぎのない自信と伝統を見せ付けられたかのようであった。実は、この時に恩師と劇的な再会を果たしている。まったくの偶然の結果である。しかしその会話は精細を欠き、うつ状態なのかどうかわからないがひどく疎通性の悪い感じがした。会話のピンポンが続かないというより暖簾に手押しというか、虚空に向かって打ち返しているかのような感触。驚きと落胆に満ちた再開の後、それを専門とする蘭に聞いてみたがどうにも捉えようがないとのこと。そのような感傷をさておいて、宴は加速する。サングラスとTOKIOの沢田研二張りの一張羅を誂えたややすべり気味の”エンターテイナーMichael Patrik Simoner
(どうやら公式サイト)
の煽り、途中に仏教的な「祈り」のパフォーマンスも混ぜた"Hot Pants Road Club"による音楽。アルコールの海と、留まることなき大音量の音楽-いつしか下手ながら踊りへ導かれていた。途中、学会長の Christian J. Herold を発見。ご専門は胸部放射線で、去年「肺野結節の画像診断」の講演を聞いて気になっていた人物である。若干スノッブな雰囲気はあるが(イメージ的には福田康夫)、話の節々ににじみ出るユーモアがある。芸能人に会ったファンの如く、一緒に写真に写ってくれるようお願いしたら快く承諾されたので蘭に頼んで撮影してもらった。肩まで組んでいかにもフレンドリーであった。さて、ESR新聞によるとその後日の出までこの宴は続いていたようだが、我々は日をまたぐ前に退散。心地よい眠りについた。耳に残る音楽と熱狂に包まれながら、この瞬間が永久に続くことを願いながら。
以下は youtube に投稿されたパーティの様子である。まさにステージでパフォームしているのはHot Pants Road Club である。
Youtubeへ

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