2007ECR記 1
"Wien, Wien, nur du allein sollst stets die Stadt meiner Träume sein"
Rudolf Sieczynski (1879-1952)
「わが夢の街ウィーン」
2007年3月、例年の如くウィーンにてECR (European Congress of Radiology) は開催された。本記録は参加二回目の中堅放射線科医が記す旅行記である。
(出立編)
旅の契機はいつも茫漠としている。人の生きる様は常に流転しており、生きることとは即ち旅をすることであるとも考えられる以上、その中の一部を「旅行」として切り分けることにどれだけの意味があるのだろうか。また、そんなことは真に可能なのだろうか。今回の旅行は学会参加という大義あれども、旅の本質から逃れることはない。そして、それは遥か昔から決まっていたようにも思えるしランダムなブラウン運動の如き混沌から偶然生じた移動のようにも思えるが、ともかく公式には2006年11月24日の抄録採択の通知をもって決定された。
具体的な旅行計画には紆余曲折があった。当初オーストリア航空による直通便による往復、宿泊は勝手知ったるK+K Palais を予定し、旅行代理店を通し予約していた。ところが直前になってM-仮に蘭とする-が同行することになったため計画を変更することとなった。蘭について言及するにはかなりの紙幅を要するためここでは省略するが、数年来恋愛関係にある女性である。同行決定に至るまでもひと悶着があったが、私にとっては生涯最高の伴侶のように思えるとても魅力的な人物である。すでに直行便の空席はなくなっていたため代理店と相談の上エールフランスのパリ経由便に乗る運びとなった。宿については本来「二人部屋の一人使用」というカテゴリで予定していたため宿泊人の追加にはおそらく障害がないと判断した。
出発の前日は深夜までかかって仕事を片付け、変換アダプタ等を夜中のドンキホーテで購入、慌しく就寝した。睡眠時間は少なかったがどうにか目覚めて成田行きの電車に飛び乗った。余談であるが朝食にはコンビニ弁当ながらシシャモ、納豆、炊き込みご飯、ほうれん草の和え物など完全に和風のものをセレクトしたことを記す。蘭とはほぼ同時刻に空港で落ち合うことができた。飛行機のチェックインカウンターを探すのに少し手間取ったが無事に済ませた。飛行機の離陸を見ることのできる明るく開放的な店で、そばを食べた。飛行機が苦手な蘭は少しナーバスになっている。旅行保険の手続きを済ませた後、前日ドンキホーテで購入したトラベルミンを手渡した。
出国審査の際に、花粉症対策のマスクを取って顔を見せるよう言われ、ひょいとマスクをずらしすんなり通過。蘭はすでに向こう側で待っている。国内にあって国内ではない場所に。時間もないので指定搭乗口へ直行、飛行機に乗り込む。飛行機入り口のすぐ手前にはルモンドなどの仏語新聞が並び、スチュワーデスは "Bon jour" なんて乗客に挨拶している。通過するだけだが、パリ行きの飛行機に乗るのだと実感。ついに出発だ。
(往路;機上から宿まで)
私と蘭の席は中央三席並びの左翼二席分、右翼の一席には仏人と思しき男。気を利かせてくれたのか、すぐに一列前の席へ移動してくれた。後に座席モニターが不調だといって戻ってくるのではあるが。そこで機長挨拶、仏語と、仏語にしか聞こえない英語での挨拶の後、輪をかけて怪しげな日本語で挨拶。「搭乗アリガトウ」はねーだろ。お前は三流ロッカーか。
搭乗したエールフランスの機体では一つ前の座席ヘッドレスト裏に小さなモニターが埋め込んであって、それにより乗客は映画やゲームなどを楽しむことができる。ゲームをやるにはアームレストからファミコンのコントローラーのようなデバイスを引っ張り出す。映画の選択なども同じコントローラーかモニターに触れて(タッチパネル式)操作を行う。
以前の経験から、蘭は離陸時に不安が強まるようだったので、手を強く握った。これは嫌がられたが。また、すぐに出入りできるよう通路側の席にいた私と席を交換した。あまり表情には表れないが、少なくとも落ち着かない様子であったのは感じ取れた。指は長く官能的な手をしており、私のほうにはまた別のさざ波が僅かに沸き起こってはいたがそれは内緒にしておこう。飛行が安定し、シートベルト着用サインが消えた後しばらくして絵葉書のような機内食お品書きが配られ、その頃には多少リラックスしていたように思える。
蘭との会話の詳細は覚えていないが、二日目訪問予定のスロヴァキアやその後のウィーンでの観光予定などをガイドブックを交え話し合ったように思う。やがて座席モニターでの映画が始まるわけだが、どういうわけか私と欄の席のモニターは調子が悪く、上映中にしばしば中断した。機内アナウンスの時には中断するようになっている設定なのだが、それ以外のときも、しょっちゅう切れた。周りを見渡すと継続して映画が見れていたのだが、私たちの席の機械は調子が悪かったのだ。
話は少し戻るが最右翼の男はそれが調子悪いことにクレームをつけ、ついにはスチュワーデスが3人も集まる大問題へ発展していた。私たちのように、一般的な日本人なら受忍するところだが、彼らは少し違う。それでも私は少しだけ我慢して途切れ途切れの「父親たちの星条旗」鑑賞に勤め、蘭はカジノ・ロワイヤルを見ようと努力していた。やがてそれにも飽き、私が読書に没頭しつつある頃蘭はゲームに活路を見出していた。昔のパックマンのようなゲーム、倉庫番のようなゲーム、「ぷよぷよ」に似た球体落としゲーム・・などなど。ゲームに夢中になっている蘭の横顔を見て改めて可愛く思えた。やがて私も蘭も半覚醒から熟睡状態のはざまを彷徨し意識は途絶えた。
ふと目覚めるとモスクワ近辺まで到達していた。ワイン、ビールなどの飲み物やカップヌードル、サンドイッチなどは自由に注文できたのでその点では不自由がなかった。小腹が減ったのと、おそらくもう機内食はないであろうという見込みから(実はもう一食あったのだが)、カップヌードルシーフードを頼んで二人で食べた。「トリビアの泉」によると仏人シェフが認めた味、状況が状況だけに染み入るような美味しさだった。ついで機内でEU外のヒト向け入国申請書が配布された。入国申請書の項目がわかりづらく二人とも思い思いにいい加減に書きなぐっていたところ機内誌に書き方例が載っていることが判明。もっと早く教えてよ、と思いつつ書き直す。続く数時間、さらに浮遊するような時間を経てついに飛行機は現地時間17時頃、パリ・シャルルドゴール空港へ到達したのだった。陳腐で言い古された形容であるが[花の都パリ] などという陳腐な言葉が思い浮かんだ。今いるのはパリ中心部からすごく離れた郊外だが。
チューブ上の通路を歩いて入国管理官のブースへ。黒い制服を着込んだ彼らの背中と右胸には"police"とあり、腰には軍用拳銃のようなブツを装備している。各ブースはEU国内人とそれ以外向けのように分けられていたが、しょっちゅう人が出入りしてそのような区別はあってなきが如しだった。よくわかってないどこかの国の中年女性がうっかりブースを通過しようとすると「マダーム」なんて呼びかけられていた。ほんとにマダム、って呼びかけるんだなあと少し感慨深い。二人とも無事に入国チェックを済ませロビーへ。蘭がトイレへ行ってる間に妙なヨーグルト飲料を購入、彼女に怪訝な顔をされる。パリ発ウィーン行きの便へは少し時間があったので空港内を散策した。
少しぼけ気味な頭で空港を歩いていると、軍服を着て自動小銃をぶら下げた兵士二人が向こう側から歩いてきた。ぎょっとしながらも歩いているとまたもや同じような格好の女性兵士が談笑しながら歩いてきた。これがこの空港の通常警備なのかと思うと少しぞっとした。
その後 SWATCH の店やVirginストアなどを冷やかしながら時間をつぶす。Virginストアでは"Manga"と題したパンフレットがおいてあって、週間少年マガジンなどで見知った絵が。これは記念になると思い保存分も含めて二冊とるため蘭にも渡すとどうやら怒らせてしまった。その理由について思い当たる節がないでもないが、予想外ではあった。そうこうしているうちに時が満ちウィーン行きの飛行機に乗るため搭乗口へ。黒人が仕切る搭乗口で並ぶこと約20分、上着からベルトから蘭から誕生日にもらったD&Gのキーチェーンからみんな取っ払ってようやく通過できた。そこから二連結バスに乗り飛行機へ。車内ではすでにドイツ語が飛び交っていた。車窓からは赤紫の美しい夕焼け、バスから降りたところでカメラ撮影をしてみた。少しして女性の職員から咎められ撮影は中止。ああ、そうだった。ここは自動小銃を装備した兵士が警備する空港、セキュリティは厳しいんだった。
ウィーン行きの飛行機はシートがゆったりしていた。心なしかスチュワーデスの服装もオーストリアっぽい(その、赤さがね)。ここでも機内食が出て、ハンバーグのようなものを食べた。パンも配っていた。食事のパッケージは絵葉書調であった。少し戻る形でパリから東へ約2時間、ついに目的地たるウィーンへ到着した。ウィーンの商店は一般的に夜は閉まっているが空港も例外ではない。人がまばらな空港を歩き、荷物受け取りへ向かった。無事に着いたトランクケースを受け取ったのち市内行きのCAT乗り場を目指した。蘭はそんなことめったにないというが、私は去年の経験からトランクが無事に着くかどうか不安であったため荷物を受け取ってようやく一息つけた感があった。そこを抜けるとECRのブースが設置してあり、係員が応答している。かなり高い登録料を取るだけあってサービスは充実している。
CATからU-bahn Wienmitteまで9E、でかい車体に乗り込んで約20分。Wienmitte でビールなどを購入。犬を連れた短髪・迷彩服の若者が4人ほどいてもしやネオナチか??などと内心警戒していた。結局は何事もなくU4で接続してSchweden platz 駅へ。ふつふつと去年の記憶がよみがえる。Schweden platz を降りるといくつかのWuerst(ソーセージの類)などを売るスタンドを通りかかる。このソーセージはとても美味しいので、蘭にも食べてもらおうと思い怪しげなドイツ語で購入、少し行き違いがあり、大きなパンつきのホットドッグ。それでも中身は本場のそれ、宿に着く少しの間二人でほおばりながら歩いた。すっかり星空となっていたがその日の晩は特に星が綺麗に見えた。一人で見上げるのと二人でいるのとではこんなにも違うのだ。
宿に着くと、夜間のフロントはインド人のようであった。去年このホテルに宿泊したときも、朝食のウェイターはアジア系であった。これらの例に見るように、オーストリア滞在中、飲食店等のサービス業で外国の従業員を見かけることが多かった。オーストリアには外国人労働者が多く、EU加盟候補国からの労働者受け入れ数はドイツと並んで高い。まずは、一人から二人への変更と、それに伴う料金の変更について聞くと日本円にして5万円ぐらいの値段を提示してきた。それは許容範囲内であったので、許諾し文書による記録を要求したところその値段の正当性、国連関係の宿泊者数増加が背景にあると主張し拒否された。なかなか抜け目のない奴だ。チェックアウト時に追加料金を払う必要がないことが明らかになるのであるが、それは後述する。蘭も本来二人部屋を一人使用で余計な料金を旅行代理店へ払っているのに、追加料金が発生するのはおかしいと疑問を呈した。全くもって正論である。
このような手続きを経て、ようやくウィーンでの床に就く。蘭の用意による湯につかり、ベッドへ。蘭と肌を重ね、登りつめた後に二人の時間が止まった。こうしてウィーンの初日は過ぎていった。
(中欧・スロヴァキアの空気)
明けて翌朝、蘭と一緒にホテルの朝食ビュッフェで食事をした。去年も見かけた東南アジア系ウェイトレスが来てコーヒーか紅茶かを尋ねる。このホテルの朝食ビュッフェの品揃えは毎日同一だ。ウィンナー、スクランブルエッグ、ベーコン、チーズとパン(トースターも設置してある)、シリアル、果物、パプリカと胡瓜、マルチビタミン・アップル・オレンジのジュース。そしてなぜかシャンパンも用意してある。ものはしっかりしていて朝のエネルギー補給には最適だ。私と蘭、おのおのこれらを取ってきて席に着く。今日は一日フリーなのでシャンパンもグラスにいれ持って行った。蘭はビュッフェの食事がいたく気に入ったようだった。確かに、ウィンナーとベーコンは絶品だしチーズも青かびものからゴーダからいろいろ取り揃えてある。
今日の予定は丸一日スロバキア共和国の首都、ブラチスラバ。予定では船で下る予定だったが食後まったりしてる間に出航40分前。船着場はとても近くにあるため油断していたが、ガイドブックをよく見ると出国手続きがあるため一時間前には集合しなければいけなかったようだ。まあ、船はホバークラフトでしかも旅情緒には欠くらしいので乗らなくて正解だったかもしれない・・というのは逃したブドウなんて酸っぱいに決まっているという負け惜しみにしか聞こえないか。ともかく船プランは挫折したため、陸路を列車で行くことにした。具体的な時刻がわからないためフロントで問い合わせ。女性マネージャー(去年もいた)はてきぱきとネット検索をして電車の時刻をプリントアウトしてくれた。小雨交じりの天気で、大きくK+Kのロゴが入った傘をフロントで拝借してホテルを飛び出す。Sudenbahnhof で乗り換えて75分、なのだと。早速U-bahn、S-bahnを乗り継いで当該駅に到着。広い駅舎。どこで乗車券を買ったらいいのだろう?とりあえず手近のインフォメーションセンターに行って Fahrenkarten zum Bratislava のようなことを言ったらそれは反対側で売ってるのでそっちへ行けとあしらわれる。反対側を振り向くといくつかブースがあるのだが、どれなんだろう。。まずそれらしいとこにいってみるとそこは鉄道インフォメーションのようで、シンプソン父のような係員が緑の紙に印刷された時刻表をくれた。また、乗車券は隣のブースで売っているらしい。で、無事購入。階段を上って目的ホームに向かうといかにも国際線の発着駅らしく各方面行きのプラットフォームが並んでいた。ブラチスラバ行きは8番ホーム。すでに列車は待機していた。相変わらず空は曇っている。
列車内の乗客はまばらだった。日本の通勤列車の殺人的混雑振りを考えると-いや、そもそも比較対象にすらならないが-ファーストクラスの車両のように思えた。騒音は少なく、新幹線のような快適さだ。それでもなるべくプライベートな空間に近づけるべく席を探した。後方に二人の乗客はいるが我々の視界には入っていない。私に見えるのは蘭だけだ。じきに人家はまばらとなり、あたり一面畑が広がっていた。オーストリアという国において農業などの一次産業はGDP比にして2%程度であるが、農地は国土の約40%を占め、
主要農産物についてはほぼ100%自給している。カロリーベースにおいて40%程度の自給率であるわが国日本とでは比較にならない安定ぶりである。ウィーン=音楽の都の胃は自国で支えられているのだが、GDPの約七割はサービス産業である。知れば知るほどオーストリアへの愛着が深まっていく気がする。それはDer Mann (ここをクリックすると同社のサイトへ。いきなり音楽が鳴る)などで多数パンが並べられているのとイメージが重なる。あたかもこの畑の産物が洪水のように街角の店へ流れ込んでいくイメージ。畑の中に水路があるのか途中、蘭が鹿を見かけたが撮影には失敗した。放射線科医として、目には邪気眼並みの透視力がある気がしていたが、蘭は時にそれを凌駕する鋭さを発揮する。
蘭ととりとめもない話をしていると、電子音のメロディが断続的に種類を変えて聞こえてくる。一つ一つは短いのだが延々と続いている。どうやら携帯の着信メロディを選んでいるようだった。クラシカルなベルの音、そのバリエーション、はたまたJazzyなメロディなど多彩だ。私がそのレパートリーがcoooolなものを揃えているね、と言うと蘭はにっこりと笑った。蘭が口唇挙上筋を用いてにっこりとすると上顎洞の辺りのほほがぷっくりとする(元ピンクレディの未唯さんっぽい)。私はその様にたまらない欲情と愛情を感じるのである。
さて、実はここで当初予定していた路線とは別の路線に乗っていることに気がついた。当初はBratislava行きに乗っていたつもりだったが上記の写真をよく見るとわかるが、今乗っている列車はBratislava petrzalka行き。総武線快速が久里浜行きであっても東京駅に停車するように、てっきりBratislavaへも行けるものと思っていたが、緑の時刻表をよく読むと、目的地Bratislava petrzalka行きとBratislava 行きとでは途中駅が明らかに違う。路線自体が別だった。ガイドブックはBratislava から主たる観光スポットへの行き方を紹介していたので果たしてBratislava petrzalkaからそこへ行けるのか。Bratislava petrzalkaはガイドブックの地図にも載っていない。また、ガイドブックによると現地では必ずしも英語は通じない。年配の人ならドイツ語あるいはロシア語が通じるとのことであった。私は少しならドイツ語が話せるし、実は日独・独日辞書も持参してはいるが、首尾よく現地で情報を得られるだろうか。そのことを蘭に話すと、蘭も事態を察知したようだったがそんなに動揺しているようには見えなかった。
そうこうしているうちに、列車は終着駅へ。降りてみると空は灰色で小雨が降っていた。社会主義時代の影響か、駅は殺風景で、商業広告の類がまるでない。ホームから出口へ向かうと入国審査が待っている。"Policia"と記された黒い制服を着た男がパスポートをチェックしている。さっと見るだけで返してくれたのでそのまま出ようとするともう少し奥にあるブースの係員に呼び止められた。もう一度チェックされた。ダブルチェックという行為だが、この手の審査では珍しいのではなかろうか。何か治安上の意味があるのだろうか?こちらでもちょっとパスポートを見せただけだったのだが。
雨天のせいかもしれないが、駅の中は薄暗い。元々照明も少ないようだ。駅のロビーへ向かって進んでいくと、両替屋があった。ユーロとSK(スロバキアコルナ)を交換してくれるようだが、レートの大小は判断しがたい。4000SK=15ユーロ(数字はよく覚えていない)と紙に書いて窓口に張ってある。どのぐらい換えようか考えていると、両替屋のおじさん曰く食事するんだろ?なら4000SKぐらいにしときなよ、といった助言?をくれたのでそれに従い12Eほどを
差し出した。次に立ち寄ったのがツーリストインフォのカウンター。目的地たる旧市街へ行く方法を聞かなければ。やはり薄暗いカウンターにはおばあちゃんと孫?と思しき少女がいた。3畳ほどの狭いスペースで所狭しとパンフレットが並び、壁一面に地図が見える。おそらく英語は通じない。あらかじめどう尋ねればよいかは列車内で考えていた。"Entshuldigen Sie Bitte. Wo koennen wir zu alte Stadt gehen?"
するとおばあちゃん、なにやらしゃべりだしたが聞き取りづらい。が、どうやら「91番バス停」に乗ればよいらしい。ついでに、10分券で行けることも教えてくれた。区間ではなく時間で設定されているところがよそ者にはわかりづらい。なにやら手振りで上に上がったりしたに下がったりする様子を表現しているが、バスのルートは up down が激しいということなのだろうか。とにかくお礼を言って、雨降る中駅舎を出た。駅の目の前は一本道になっていて、駅側と反対側に番号札が貼られているバス停らしいものが幾つかある。各々チェックしてみたが91番はない。やむなく先ほどのおばあちゃんのところへ引き返してたずねるとまたもや上下のしぐさ。うーむ??しかし、行き先を指し示したところには地下道への階段が見える。さっきは気がつかなかったがおそらくここを通って行けという事なのだろう。再びお礼を言って殺風景な地下道を通り抜けるとそこにもバス停があった。そして、目的とする91番バス停をついに発見。上りと下りのどちらに乗るか?バス停留所名も方角もよく判らないが、10分でいけるのだから終点まで四つの停留所に行く方がおそらく正しい。少し待っていると二連結のバスが勢いよく入って来た。行き先は "Novy most" とある。バスに乗り、時間を打刻する。本当に旧市街に付くのか多少不安であったが、バスはドナウを越えブラチスラバ側のバスターミナルへ到着した。見上げると小高い丘の上にブラチスラバ城が霧がかってその威容を誇っている。
方角は正しかった。とりあえずの行き先はそのブラスチラバ城であったのだが、すぐ近くに見えていて道は遠かった。バスターミナルのすぐ北側は自動車道路のみで、徒歩では超えがたい。やむなく西回りに歩いていくことにする。その途中、蘭と私とで記念撮影をした。黒い傘を持ち黒いコートの蘭はその肌の白さとコントラストをなし、この異国の空の下でもゆるぎない光を放っていた。そののち歩いていくと歴史がかった教会に通りがかった。これは聖マルティン教会で、黒ずんだ壁が歴史の重みを感じさせる。なんでも古くはハンガリー国王が結婚式を挙げたところなのだとか。途中路面電車にはねられそうになりながらどうにか城へたどり着いた。鬱々とした空からは小雨が降り続いている。ここまで来ると通行人はまばらだ。城の正面に回ると、その広場には二箇所のお土産物ショップがあった。帰りがけにでも寄っていこう。ブラチスラバ城の起源は鉄器時代にさかのぼるが、現在のような形になり始めるのは15世紀以降のことである。建物は中庭の四方を囲み、各々の角から塔が突き出ている。その形から、「テーブルをヒひっくり返したような」と形容される。正面入り口から入ると中庭では工事が行われていた。
ガイドブックを見ると、入場料が80SK程度とあるがぱっと見た目にそのような窓口は見当たらない。中を少し歩くと奥まったところにデスクがあり、なにやら料金表のようなものを掲げている。どうやらここらしい。よく見てみると、一人100SKでガイドブック記載の時点より値上がりしたようだ。ここで券を買い、さらに奥にあるクロークで老婆にコートやバッグを預け中を見て回った。硬貨、古美術品再生のプロセス、中世から近代の武器、アジア・中国の民族衣装、宮廷の家具などが展示は盛りだくさんであった。特に武器展示は見たことも無いようなお種類の銃、野砲、剣がこれでもかと陳列されており圧巻だった。
一通り見て回った後、四隅にある塔の一つへ上れるところにたどり着いた。ドアを開けると、クロム色に輝く王冠が展示してあってその向こうは階段になっている。階段はらせん状で、ひたすら上へ登っていった。その様子をカメラで収めていると蘭が興味を示した。その頃には少し息もあがっている。ようやく塔の頂上に達すると四方には雨にぬれたブラチスラバの美しい光景が広がっており、しばし言葉を失う。空気はひんやりとしている。他愛もないことではあるが、異国の欧州において何かを達成したような気になり、それは霊的とも言っていいぐらいの感銘であった。その後はゆっくりと塔を降り、来た道とは別のルートで市街地へ戻った。
途中日本人観光客がうろうろしているのを見かけた。彼らはまだ若く学生のようであった。この城の博物館を見るでもなく、裏庭の向こうにある抜け道を見かけるでもなく、まさにモラトリアムの真っ只中にいることを象徴するが如く放浪する彼ら。少し軽蔑のまなざしを送りそれを口にすると蘭はやんわりとたしなめるのであった。数千年前のピラミッド建築の落書きにあるように、常に「いまどきの若い者は・・」は繰り返されている。そのことを思い出させてくれた蘭の一言。いつの間にやら自らがそのような年齢に達したこをと否が応もなく自覚させられたのだった。
途中またもや路面電車にはねられそうになりながら市街地までおり、ランチの場所を探した。目指していたのは、ガイドブックにも載っていた「ブリンゾヴェー・ハルシュキ」なるスロバキア料理。小麦とジャガイモによるニョッキ、にベーコンと羊のチーズで味付けしたもの。
ブラチスラバ城から帰る途中に、いかにも安食堂といった風体の店のメニュー(通りに張り出されていた)にも載っていたのだがやばそうなのでスルー。結局大通りまで戻って店を物色。
すると、"buisiness lunch" という記載のあるお店が、ミハエル門近傍のとあるビル(*)の1Fにあるメニューに書かれていた。蘭と話し合って、そこに行くことにした。その看板の奥にある店に入り階段を上り席を探す。しかし、、そのテーブルの上にあるメニューを見るとどうも雰囲気が違う。改めて店の名前を見ると、ビル1Fのメニューにあったそれとも違う。慌てて店を出て確認すると目的地は4Fであった。エレベーターのドアが開くといきなり店内で、たどり着いた先は如何にも高級店、といった風情の調度品で固められたレストラン(ALIZÉ RESTAURANT)(魚拓)であった。きっちりとした給仕服を着た長身の美男美女が迎え入れてくれる。
客は我々の他はない。渡されたメニューを見ると、換金した現地通貨を使い果たしそうな
値段だったのでビールとパスタでお茶を濁した注文をした (計544SK)。
その間にガイドブックを再チェック、元々予定していたスロバキア国立劇場の位置を確認した。
(*)近代的な靴作りで有名なTomáš Baťaの元住居らしい。Tomáš Baťa は第一次大戦においてオーストリア・ハンガリー帝国に軍靴を供給し財をなした。
それまでぶらぶらと歩きながらブラチスラバ旧市街地を探索。こじんまりとしてはいるが、ブロック一つ、建物一つに歴史の重みを感じる。女性向け下着店に入って蘭の買い物に付き合ったりした。その後はさっき食事をしたばかりだったが、どうしてもハルシュキを食したく、ワインセラーを改造したと思われる店("Slovak cellar")でついに遭遇。薄暗い階段を下りていくとレンガ造りのトンネル状での店内についた。そして意気揚々と注文しついでにビールも頼む。店内の様子に魅入られたかのように蘭は写真を撮っている。
程なくして運ばれてきたそれは厚い木のプレートに乗っかっており、素朴でかみ締めるような味わいがビールとよくフィットしていた。店を出る頃には雨がぱらぱらと降っていて我々は傘をさした。が、まわりをみるとせいぜいフードをかぶるぐらい。日本人ほどは雨に濡れるのを気にしないらしい。今となっては日本国内で傘が大量に売れる理由がわかったような気がする。ちなみに、横浜税関の調査によると1億三千万本もの傘が2006年に輸入されたという。
現地のインフォメーションセンターによって帰りのバスを確認したあと国立劇場。驚くほどの安価(2.5E!)で自由席チケットを購入。今日の演題は7時からモーツァルトの"Die Zauberflotet"、その時は意味が分からなかったが帰国して調べたら「魔笛」であった。さて、開演までもう少し時間があるため街中の散策を続けることにした。地元の生活の雰囲気を味わってみたいのと、飲み物(特にワイン)やスナックの買出しもかねて英資本のスーパー、TESCO に寄って見ることにした。ネオンサインが地味でもしかしたら道に迷うかも知れないと思ったが、地図の通り行ってみるとすぐに見つかった。燦然と輝くTESCOのロゴは明るかった。建物の規模も日本の郊外型のスーパーと同じぐらいでじっくり回るには少し広い。まずは1Fをぶらぶらしてみた。文具やちょっとした電子機器、本が置かれている。本は殆どがスロバキア語で理解不能であったが、その一角に「カーマスートラ」の本が置いてあった。しかもそこそこの数と種類が揃えられていた。厚いのから薄いの、写真が多いもの、少ないもの…既に先客カップルがいて、彼らもその本を物色していた。スロバキアではブームを引き起こしているんだろうか?蘭と一緒に少し興奮気味に本を漁った。ちょっと描写が露骨な奴を見せると、顔を赤らめ恥ずかしそうにしていた。蘭のそんな様子はとても可愛い。そこでコンパクトなカーマスートラ本を購入、写真と紙質は割りにいい。ついで、古びた感じのエスカレーターを上ると衣料品などが主体のフロアだった。二日目にして革靴が合わなくなり、靴擦れを起こしかかっていたので新しく買うことにした。探すといろいろな靴があって、スニーカー風のシックな黒靴を購入、1190SK (約4800円)だった。手持ちを考慮しVISAカードを使用。ほかのところを物色していた蘭が戻ってきて、急場しのぎで買ったにしてはいい靴ね、とほめてくれた。
次に地下階の食品売り場へ。客の動線はうまくコントロールされていて、地下階に降りるとほぼ一方通行で買い物→レジ→地上階へと誘導されるようなつくりになっていた。ワインはどれもこれも驚くほど安い。ミネラルウォーターもあればよいだろうと思い、店員に質問してみた。炭酸ありのとないのとが混在しており、スロバキア語がわからないので区別しがたかったからだ。若い店員であったが、こちらの拙いドイツ語はどうにか通じて炭酸のありなしがわかった。ラベルの文字から類推できたのだ。ラベルに neperliva とあれば炭酸なし、 Perliva とあれば炭酸入りだ。
つまみにはプレッツエルを購入した。そうしているうちに二人ともトイレへ行きたくなりうろうろと館内を探索してみたが、見当たらず先ほど話しかけた店員に聞いてみる。「トイレデコデスカ」。すると、トイレットペーパーのある陳列棚に誘導された。苦笑しつつも「チガウチガウトイレ」というが理解されなかったようでしょうがないから別の店員にきいてみた。そしたらまたトイレットペーパーのあるあたりへ誘導された。もうこうなったら自力で探すしかない。方々回るうちに発見、トイレは階段の踊り場にあり、2-3F間が男子トイレ、1-2F間が女子トイレであった。ここで蘭と別れておのおののトイレへ。…中に入ると老婆が一人陣取っていて、どうやら利用料が必要なようだった。そういえばガイドブックにそのようなことが書いてあった気がする。財布の中を探ってみるとコインはなくSK札のみであった。しょうがないからお釣りをよこせと念じつつ(私のドイツ語力ではムリ)、札を渡そうとしたら、「行け」というジェスチャーをされた。親切な人だと感動しつつ放尿、戻ってみると蘭がそこにいた。どうやら蘭もチップを要求されたが小銭がなく利用させてもらえなかったようだ。そこでひとっ走り行ってボールペンを購入し小銭を作った。
ちょうど開幕時間近くになり、スーパーの袋を抱えて劇場へ急ぐ。入り口を入ると身なりのよさそうな紳士淑女が集っており、ラフな格好でスーパーの手提げ袋を抱えた我々はどうにも居心地が悪い。が、旅の恥はかき捨てだとばかりにクロークに預け(さぞ面食らったことであろう)、チケットに書かれた席へ向かった。
席は舞台に向かって左最上階奥。スツールのような椅子があって、その前には腕を置けるようになっている。まるで絵に描いたような欧州の劇場、その非日常感にドキドキしていた。カメラを向けると、蘭はクールな笑みを浮かべた。そしていよいよオペラの開幕だ。耳が痛くなるほどの静寂が突然訪れた。衣擦れ音すら許されないかのような沈黙。音楽が奏でられ、王子のような格好をした俳優と鳥かごを抱えた男がいる。夢のようなひと時がまさに始まったのだ。惜しむらくはそのストーリーと、歌詞がわからないこと。残念ながら何度も居眠りしてしまった。私に芸術派ほど遠いようだ。ようやく一幕が終わり魔法の時間から現実へ。前の席にいた黒人が話しかけてきたので他愛もない話をして、「これで全部終わりですかねえ」と尋ねてみた。そうすると、もう一幕あるようだったがウィーンへ戻る電車の時間がぎりぎりになりそうだったので一幕で帰ることにした。そこで蘭いわく「すぐ誰にでも懐く~」。自覚はないが(むしろ非社交的だと自分では思っているが)蘭にはそう写るらしい。
最初にブラチスラバについたバスターミナルへ戻り、Bratislava petrzalka駅への切符を購入。すでにあたりはたっぷりと中欧の夜だ。
駅にたどり着くとがらんとしていて悪夢の中のような光景だった。さて、窓口に行くと女性の係員がいた。少し筋の悪そうな感じであった。話しかけてみたらドイツ語も英語も通じず、しょうがないからひたすら wien だの wien mitte
だの繰り返していたらどうにか通じたようだ。対面窓下の回転小物入れにカードを入れると切符を返してきた。待合室でコーヒーを飲みながら電車を待った。昼間に比べるとかなりおざなりな(雰囲気の)出国審査を経て列車へ。
(学会初日。プラター公園、意外なコンサート)
(ウィーンに咲いた桜、フランスから来た男)
(欧州における米国的なるもの。中国の台頭。)
(ハプスブルグ家の栄光、多民族の市場、宴)
(最終日の寂寥)
(復路;そして母国へ)
(参照:訪問店のリスト)
ブラスチラバ旧市街へのアクセス
Wien südenbahnhof より Bratislava petrzalka 行きの電車に乗る。(~11E、帰りはなぜか8Eほど)。列車から降りると当局(Policia, とあるので警察が担当しているようだ)による
二回のcheckを経て(単にパスポートを見せるだけ)駅のロビーへ。両替所でSkへ換金してバスチケットなどを売っているブースで10分券(14SK)を購入。地下道を通って駅の反対側へ出る。そこからさらに道路を横断した側にある91番路線のバス停でNovy most行きのバスへのる。
4駅ほどでブラチスラバ城近辺のバスターミナルへ。
20070308
Restaurant Alize (高級そうなところ、)
RC slovakia s.r.o.
Hurbanovo nam.6, 811 03 Brastislava
ミハエル門近傍、中央郵便局よりは手前
Slovak cellar (ハルシュキ)
Sedlarska 4, 811 01 Bratislava, Slovakia.
INFO@STAROSLOVENSKAKRCMA.SK
TESCO (supermarket)
Kamenne namestie 1/A 815 61 Bratislava
20070309
Wienerwald
Schottenkeller, Freybung 6
A-1010
050-151-6116
Original 3er kik (Pompe flite und fried chiken)
Gasthaus Hansy
Praterstrasse 67 1020
214-5363
Orangensaft 2 E, Kaheljau geb (fried fish and potatos)
20070310
NORDSEE (sea food restarurant)
Rotenturmstrasse 4 A-1010
512-27-89
Paella 7.95E, NORDSEE Leibchen 1.5 E, Fischs tasse suppe 2.95 E. u.s.w.
20070311
Gulaschmuseum
日本語のメニューつき、ワイン、ビールなども安い。
Website
Bräunerhof Konzert-Café
シュテファンプラッツ近傍、ケーキのみならずサラダなどの食事メニューもある。日曜日も
営業。
Bräunerhof
Konzert-Café
1., Stallburggasse 2
Tel. 512 38 93
U1, U3: STEPHANSPLATZ
Musik: Sa, So, Ftg 15-18
20070313
Cafe Hofburg
Querfeld GES.M.B.H
Wien ATU 46091009
王宮内にあるカフェ。テラスもあるが、室内の雰囲気はとてもよい。応対が丁寧だった。
Hotel Sacher Wien
Cafe Sacher
オペラ劇場近くの、言わずと知れた名店。
